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2008年8月27日
弁護士 河 村 武 信
本件の審理を終えるにあたって次の点を申し上げ、裁判官各位が是非ご留意されることをお願いしたい。
第1は、本件の請求の趣旨がすべて金銭を請求する損害賠償請求に変化してしまったことであります。言うまでもなく、一審被告の会社が、配転後一定の期間を経て、一審原告らを元の勤務地、その周辺に勤務場所を戻したことと、一審原告中の11名が定年を迎え、その中3名が定年退職を転勤先で迎えさせられたからである。一審被告が、無謀な配転の実態が、裁判所によって指弾され、その効力が否定されることを慮った結果、再配転の措置がとられたからである。真に姑息な手段というべく、かかる一審被告の行動は、実は本件配転命令には何の業務上の必要性もなく、それが行われたものであることを如実に示しているのである。然し、この事件の核心的な問題は、業務上の必要性もないのに50才半ばを過ぎた一審原告らを、組織的且つ大量に遠隔地に配転した無謀な人事権の行使が、到底許されない。そのことが問われていることにあります。
第2は、本件配転命令を検討して、私が痛感したところは、
(1)人事権の行使たる配転に関し、基本的な考え方、労働契約のとらえ方を、一審被告会社は、わざと歪めてとらえたところから、本件配転命令が発せられていることであります。
よく知られるように、私法秩序は私法関係の当事者の適切な利益調整の可能性が保障されねばなりませんが、形成権能を有するものが一方的に自己の利益を貫徹できるとすれば、それが失われる危険性が大きいと言われます。配転についても、徹底した個別的同意説にでも立たない限り、一審被告が一方的に自己の利益を実現する形成権の行使であるかの如くに扱われるところから、配転が目的適合性や必要性、目的と手段の均衡性などを内容とする比例原則を適用することによって、労使の利益の調整の可能性を維持し、回復することができるものであります。本件配転命令を検討するにつき、かかる視点から配転をとらえる必要を痛感するものである。
(2)そして、本件配転は使用者という立場の相対的に強いものによる、あたかも一方的な労働契約の内容の変更という実態をもっていることは否定できません。そのことで他方当事者である労働者の重大な不利益を蒙る問題であることを避けてとおれません。なぜなら、労働契約は労働力の売買以上の意義を有するからであります。労働は労働者の生活そのものであって、労働者の能力を形成発展させ、人間関係をとりむすび、人格的発展をはかる行為であります。配転、とくに遠隔地への配転は、そのような場を使用者の意思により、一方的に剥奪ないし変容してしまうものである。人格的存在である労働者は権利主体でもありますから、権利や利益を安んじて安心して行使し、主張できるためにも客観性のない配転の脅威、それから解放される必要があるというべきであります。本件のような見せしめ配転は、当該の配転された労働者のみならず、他の多くの労働者、それは労働組合の所属の如何を問いません。多くの労働者の権利や利益を侵害するものである。この視点も欠くことの許されないところであると考えます。
第3は、本件配転によって損なわれる一審原告らの不利益・被害は、人格権そのものの侵害であります。そして、本件配転は、適正な手続を欠き、ために使用者である一審被告の負っている安全配慮義務に違反している。
(1)異職種配転・遠隔地配転において、労働者の受ける不利益は大きく適正な手続をとることが、是非、使用者に求められることはいうまでもありません。その手続内容として、@説明義務、A誠実な団体交渉に応じること、B労働者の身体状況・家庭事情を聴取し、労働者の受ける不利益に十分な配慮を尽くすこと、C受ける不利益についての緩和措置・代替措置をとることを挙げることができる。
(2)使用者は労働契約上の権限行使に際して、労働者の利益を不当に害することのないように配慮すべき契約上の義務を負っていることは言うまでもありません。安全配慮義務は保護(配慮)の対象が、人の生命、健康の保護という重大な利益であることから法規的性格を有する義務と解されているところであります。付随的義務との用語もありますが、むしろ現在の到達点は、安全配慮義務を、労働契約上の信義則に基づいた、労働契約に本質的なこれと密接不可分の義務であると解され、そして配慮義務違反は、即、不法行為を構成するとされていることは言うまでもないところであります。
一審原告らは、当審において、改めて高齢者の健康状態とそれについての配慮義務、単身赴任者の健康問題の深刻さ、新幹線による長時間通勤・長時間勤務とストレスの増悪関係を明らかにしました。一審原告らが人格権を侵害された精神的苦痛のみならず、深刻な身体に対する侵襲を受けていることもまた明白である。一審原告らすべてが、一審被告の人事権を濫用した本件配転命令により被害を蒙っており、民法第709条、同第415条に基づき、一審被告に対する慰藉料(損害賠償)請求権を有するものであります。原判決が一審原告神野、同市田、同村上についてのみ、慰藉料の支払を認め、その余の者に対してこれを認めなかったことは、当審において正されるべきところであります。
もとより、原判決の認めた上記の三名の一審原告らに対する被害(不利益)は極めて甚大であったことは事実である。しかし、それにしては認容額は低廉にすぎると思われる。
そして改めて強調しておきたいと思うことは、原判決が、わざわざ「被告においては、現在の原告後藤の健康上の状況を確認し、その状況を十分に踏まえて、時宜にかなった適切な配慮をすることが求められる」と判示(原判決159頁)しているにかかわらず、一審被告は一審原告後藤の不利益(特に健康上の支障)を十二分に把握しながら、且つ大分への再配転も容易に可能であったのであるから、直ちに大分に戻すべきであったところ、一審被告は、遂にこれを実施しなかったのであります。それどころか、却って一審原告後藤が拒んでいるにかかわらず、単身赴任を不可避とする福岡への再配転を命じたのであります。2008年3月31日の定年退職の日まで僅か9ヶ月を残すだけの一審原告後藤に対し、福岡配転を命ずる意味は、一体どこにあるのでしょうか。蒙る不利益性の大きさは、他の一審原告らの比ではない。この人事権行使は、権利の行使の名にも価しません。害意に満ちた非人道的措置といわねばならず、これが本件配転全体の性質を象徴する事案というべきであります。そして、実は一審原告らすべてが蒙った不利益(身体的)苦痛や、人格権を侵害されたことによる精神的苦痛は、これと同質のものであります。
最後に重ねて申し上げたいことは、本件配転命令の異常さであります。裁判官に要望したいことは、豊かな想像力を働かして本件をみていただきたい。
数十年来従事してきた通信事業にかかる技術労働者に対し、営業マンとして生れ変えさせるに相応する真摯な研修や、指導は欠いたままに推移しています。配転先で担当させられた業務はまともな職務ではなく、無為な仕事、人間としての誇りを失わせる処遇、これに終止している。しかも全員が50才をこえる高年令者で、単身赴任や新幹線通勤をせざるをえない遠隔地配転、そして赴任期間の定めもありません。これはどうみても尋常な人事権の行使ではありえません。この事態を深く洞察していただきたいと存じます。
労働者の諸権利は人間本来の尊厳性に由来します。だからそれは市場原理による侵害を許さない基本的人権の一種であるという、現代の国際的な普遍的な確信であります。当裁判所がこれにそった判決をされたく、心から要請する次第であります。
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