2006年11月1日
原告 村上 淳一
裁判開始から今日まで、御審議いただきありがとうございました、最後に原告として一言
述べさせていただきます。
私の妻未沙子は、私が大阪に戻った年の11月12日に永眠しました。
多くの仲間の助けと励ましを受けて大阪に帰ることができて、娘と二人妻のそばにいて介
護をしてやることができ、妻も「傍にいてくれるだけでいい」と喜んでくれました。
大阪に帰ってからの半年あまりの月日は、家族のありがたさを痛感し、ともに暮らせる
喜びの日でありました。
大阪に帰って妻の介護ができたことは、私の大きな心の救いになっています。あのまま名
古屋にいて、あの日を迎えていたらと思うと恐ろしい気がします。
転勤の翌年の夏、中村ビル近くの昼休みの公園で妻の未沙子から「父さんが死んだ」と
泣きながら電話があって大阪に帰ったこともありました。
妻が単身赴任の私のところに元気にこれたのは、一年もありませんでした。
名古屋と大阪との二重生活にかかる経済的負担は単身赴任手当てや帰郷旅費ではまかない
きれませんでした。「電車代がもったいない」と新幹線を使わず時間のかかる近鉄で名古
屋にやってきました。当時末の娘は電通大に在学中で、その学費と妻の治療費で家計は大
変な状態でした。
私も毎日昼は弁当を作り、会社から出る食事の補助券は家計の足しにと妻に送りました。
入退院の繰り返しで日ごとに弱る妻を見るのはたまらないことでした。
少しでも長くそばに居てやりたいと、会社に新幹線通勤の申請を出しました。それまで
妻の病状や担当医の治療方針まで課長には話をしていました。その課長から新幹線通勤は
認めてもよいが「必要がなくなれば元に戻すことを了解すると申請用紙の余白に書いて印
鑑を押してくれ」といわれた時には怒りで震えました。職場のみ
んなの支援もあって1月
から3月の転勤までのあいだ新幹線で通勤することができ、毎日病院に行くことができま
した。
私のことばかり申し上げましたが、他の原告一人ひとりも本当に大変な中で長距離通勤
や単身赴任をして会社の陰湿な嫌がらせや見せしめに負けず、たたかいぬき今日を迎える
ことができました、私も原告の一人としてこの裁判をたたかった事を誇りに思っています。
またこの裁判を自分の問題として支援し、支えてくれた多くの仲間に心から感謝していま
す。
たくさんの原告が地元に戻りましたが、大阪にただ一人残る原告、後藤さんは血液の難
病を抱えています、発症率の問題ではありません、発症したら取り返しがつきません。一
日も早く家族の元に返してください、おねがいします。
最後に、社員を人間扱いしないNTTに対して、今日までやってきたことは間違いであっ
たと家族と原告に謝罪させていただきたい。
NTTに働く社員が定年まで安心して働けるような、未来に希望の持てる正義の判決を
下さるよう、こころよりお願いして発言を終わります。ありがとうございました。
|