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        意 見 陳 述

  札幌高等裁判所 第3民事部 御中

                                   2007年2月8日
                         被控訴人ら訴訟代理人
                                弁護士 佐 藤 博 文



  馬場笑美子ら被控訴人5名の配転無効確認等請求控訴事件第1回口頭弁論にあたり、被控訴人ら代理人を代表して、本件事案の特徴並びに控訴審審理への要望について、意見を述べる。



1.大規模・複合的違法・脱法行為・人権侵害


⑴ 本件は、リストラ配転をめぐる日本の労働裁判史上、類例のない重大事件である。第1は、その規模と影響力である。

韓国の国家予算(7兆円)を上回る売上高11兆7千億、内部留保8兆8千億、経常利益7千億を上げ(提訴前年の平成13年度)、政府出資46%の半国営という巨大企業による、11万人リストラ「合理化」の柱として強行され、満50歳以上の労働者約6万人を直撃した。その規模とやり口は過去に例をみない。

  すなわち、51歳になった者を全て退職させ、NTTが新たに100%出資でつくる先ゆきの保証のない地域新会社(OS会社)に30~15%の賃金ダウンで移され、これに応じない者は今までの仕事を失い、全国的な広域配転をされることを承諾したと見なされ、実際に本人や家族の事情を考慮しない容赦ない異職種、広域配転が強行されたのである。

  これは、一民間企業のやり方の是非に止まる問題ではない。もしこれが「公認」されるならば、多くの企業が採用し、日本の労働関係法規の解釈と適用、労使関係に大きな影響を与える。


⑵ 第2は、極めて重大な違法性を有し、かつ、それが複合的なことである。

  何よりもまず、事実上の50歳定年制の実施という点である。

  50歳は働き盛りであり、子供の教育、老親の介護、住宅ロ-ンの返済、老後の蓄えなど、経済的責任・家族的責任が集中する年代である。被控訴人らNTT労働者は、電電公社以来、半世紀にわたって、同意なしにこんな広域配転を受けたことはない、という労使慣行のもとで生活してきた。ところが、50歳になったというただそれだけで、他に何の理由もないのに、それまで何十年も働いてきた仕事を奪われ、家族と切り離されるという、思いがけない不利益に襲われることになったのである。

  これは、憲法14条、労基法3条などに定められた法の下の平等、均等待遇規定に反するものである。

 60歳以下の定年を禁じたいわゆる定年法に逆行し、事実上50歳にまで定年を下げるものである。

  さらに続いて会社が、「退職」「移籍」に応じなかった労働者に対し、報復的に、みせしめとして、労働者の経験・能力や生活状況に何ら配慮しない、本人と家族を苦しめる本件配転を強行した点である。会社の方針に従わなければこうなるとばかりに、50歳を超えた数万人の労働者、さらにはその後毎年続く多数の後輩労働者を脅迫した。

  原審判決は、かような労働者の人権の基本にかかわる洞察を欠き、結果として控訴人の「構造改革」に安易にお墨付きを与える判断をした。当審において、被控訴人らは、この点を厳しく批判していく予定である。


⑶ 第3に、NTTは、この明確な違法行為を糊塗するために、労働者の「同意」を作出するという脱法行為に出たことである。

 NTTは、本件リストラ策が労働者にとって重大な労働条件の不利益変更であり、「労働者の同意」という媒介項を通さないと、法令・判例をクリアできないことを知っていた。そこで、「退職」・「移籍」について労働者が「合意」したという外形をつくった。

 「退職」「移籍」を選択した労働者は、会社の脅しに、屈せざるをえなかった。しかし、強制による「同意」は同意ではない。

  被控訴人ら「退職」「移籍」に同意しなかった労働者に対しては、「満了型」を選択したものと見なす=広域配転を受容したものとみなすと「擬制」された。当然にも、同意は存在しない。

 会社はこうして、退職強要について「整理解雇の四要件」を免れ、さらには、55歳以上の労働者の大幅賃下げを労働条件の不利益変更で違法としたみちのく銀行最高裁判決(2000年9月7日)をくぐり抜けようとしたのである。こうして「同意という名の強制」という、今までに例のなかった、手の込んだ脱法行為を行なったのである。

  以上の会社側が編み出した「カラクリ」について、原審判決は正面から分析し論じようとしなかった。被控訴人らは、この点を徹底的に明らかにしていくつもりである。


⑷ 第4に、その結果、労働者に生じた不利益・被害は、深刻な人権侵害といわざるをえないものだった。

  そもそも、賃金切り下げに応じなかった「高給取り」の労働者を不慣れで生産性のあがらないところに配置し、単身赴任手当・帰省旅費などさらにコストをかけるなどというのは、経営合理性から考えると会社に大損なことである。では、どこにメリットがあるかと言えば、一部の「従わない者は、みせしめにする」ことで、他の大多数のリストラを完遂することである。それ以外に考えようがない。

  原審判決は、被控訴人の個別事情の判断の中で事実上含意しているが、この会社側の意図を正面から論ずることをしなかった。当審では、より積極的に検討し、判断していただきたいと考える。被控訴人らが受けた深刻な人権侵害の意味については、項を改めて論ずる。



2.人間らしく働くことの意義と内容・・・原点に立って


⑴ 労働者が、人間らしく働くということはどういうことだろうか。   労働者の権利のもつ意義について、再度強調したい。

    いうまでもなく労働契約は、労働者が労働力という商品を会社に提  供し、その対価を受領する有償双務契約である。重要なことは、労   働力は労働者の人格と切り離して売ることができないことである。労   働者は、結婚している限り夫婦として常に生活をともにし、それにと   どまらず緊密な夫婦関係を築くこと、その下で子どもを慈しみ育てる   こと、同居あるいは傍にいるなどして年老いた両親と安らかな生活を  送ること、仕事が終われば家庭人や地域社会の一員として様々な活動  を行い自己実現を図ること、これこそまさにわが憲法の人権尊重主義   に基づく人格権あるいは幸福追求権の具体的な発露にほかならない。  この一般論を否定する者はいない。

    しかし実は、この労働者の人格権は、企業による労働者への業務命   令とその拘束力によって、いとも簡単に「奴隷労働」にまで転換され  る。評論家の佐高信が、日本の企業労働者を指して「社畜」と命名し  、「日本のサラリ-マンは、会社第一主義で自閉症ならぬ社閉症に陥  り、会社に飼われた家畜ならぬ社畜となって、会社と社会、あるいは  自分と社会との関係を見失ってしまう」と喝破したところである。

    高度経済成長を経由して形成された、わが国の非人間的な長時間過   密労働は、国際社会から「ル-ルを守らない資本主義」と非難されて  続けてきた。すなわち、日本の労働条件の劣悪さ(低コスト)が、他   国との公正な競争ル-ルを破り、他国の労働者の労働条件や雇用に深  刻な打撃を与えているからである。これを、フランス人ポ-ル・ボネ  は『沈まぬ太陽ニッポン』(角川書店)で、次のように皮肉った。「  フランス人は、オ-ナ-経営者でない限り、定められた労働時間の延  長は絶対といってよいほど行わない。午後5時が退社時刻なら、5時  1分には『社員』ではなく『個人』になって会社を出て行く。」「『   自宅で夕食をとるのは月に2回ぐらい・・』というのは、日本のビジ  ネスエリ-トのむしろステ-タスを誇示するセリフだが、欧米だった  らこの一言だけで、細君の提起した離婚訴訟の決定打になってしまう  。」

   ポ-ル・ボネが想定していたのは、今や国際語になった「ジャパニ   -ズ・カロ-シ」だが、しかし、実は、過労死させられた労働者には  まだ帰る自宅があった。かつての奴隷も、夜は家族一緒になれた。し  かし、単身赴任の労働者は、生活ごと会社に取り上げられ、家族と顔  を合わすこともできない、家族でありながら家族としての生活がない  という意味では、より深刻である。本件リストラに伴う単身赴任の「  研修」中に過労死した奥村さん(札幌地裁、札幌高裁で過労死認定の  判決)は、まさにこの二重の意味で非人間的な死を強いられた最大の  犠牲者だった。


⑵ 今から88年前の1919年に設立された国際労働機関(ILO)  の第1号条約を、日本はいまだに批准していない。この条約は、工業  的企業における1日8時間・週48時間労働制を定めたものだが、こ  の例外である「3週間の労働時間の平均が1日8時間、1週48時間  を超えない限り、特定日に8時間以上働かせること、特定週に48時  間を超えること、は許される」との規定、さらなる例外規定である特  殊国条項(例えば生糸工業での週60時間労働制)について、日本は  認めることはできないとして、今日まで批准していない。

  日本は以降、1日8時間労働制を中心とする労働時間規制に関する全 ての条約(14号、30号、31号、46号、47号、49号、52号 、54号、67号、72号、91号、101号、106号、109号、 132号、140号、153号の17本)について批准していないので ある。

  近時、残業という概念自体をなくすホワイトカラ-・エグゼンプショ ン(WE)が真面目に議論され、さすがにそれは収まって時間外労働賃 金の割増率アップ(それによる残業規制)というまともな議論に入るか と思ったら、先般、自民・公明の与党協議では、現行25%を50%引 き上げるが、月80時間を超える残業に限定し、中小企業は猶予すると いう。これは要するに、月80時間を超える残業を禁止するのではなく 、金さえ払えば働かしてよいと言うことを意味し、所定労働時間を超え ると直ちに5割増として残業を厳しく規制する多くの欧米諸国に逆行し ている。これをみても明らかなように、日本は88年前から何も進んで いないのである。


⑶ ところで、それまでは労働者は地元で採用され働きつづけるのが一般 であり、労働時間規制が人間らしい生活(1日を労働、生活、睡眠と8 時間ずつ3分割)のために一番重要だった。ところが、戦後の経済発展 に伴い転勤、特に単身赴任が急増した。女性労働者も急増した。そうす ると労働者は、時間だけでなく、生活が丸ごと会社に奪われることにな ったのである。このような中で、雇用の場における男女平等、人間らし い生活の保障の観点から締結されたのが、ILO156号条約「男女労 働者特に家族的責任を有する労働者の機会均等及び均等待遇に関する条 約」(1981年)である。日本はこれを1995年に批准した。

   同条約は、労働者の場所的配置転換について、「労働者を一定の地方 から他の地方へ移動させる場合には、その家族的責任及び配偶者の就業 場所、子を教育する可能性等の事項を考慮すべきである」としている。 しかも、ILOは2002年3月、ほかならぬNTTの銚子無線局の廃 止にともなってNTTが強行した単身赴任・遠隔地配転を合法としたわ が国の裁判所の判断について、通信産業労組の申立を受けて、次のよう な勧告をしている。「使用者は、異動を検討する際に労働者の家族的責 任を最大限に配慮すべきである」「労働者に仕事をとるか、家庭をとる かという選択を強要すべきではない」と。日本の裁判所もまた、国際基 準から完全に遅れていることが証明されている。

  本件リストラによりNTT労働者は皆、まさに「仕事をとるか、家庭 をとるか」、さらにそれに加えて「会社に残って賃金水準を維持するか 」「子会社に行って大幅賃下げを呑むか」と、二重三重の「選択の強要 」がなされたのである。

   言うまでもないことだが、ILO156号条約は、労働者の家族的責 任と会社の業務上の必要性とを比較考慮して配転の当否をきめるのでは なく、今日の労働のルールとして、労働者が人間らしく働き、生きる権 利を保障することを先ず優先的課題とする立場に立っている。男女の平 等、男女共同参画の推進、少子化対策など近年の情況に鑑みれば、ます ますこのILO156号条約は具体的に履践されなければならない。

   当裁判所においては、本件の審理にあたり、被控訴人らの本件配転に よって受けた人権侵害の具体的内容については、国際労働基準、国際的 な人権保障基準を十分踏まえた洞察と見識に基づいた判断をしていただ きたく、切に望むものである。 

                                            以上

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